【過去】アワワワワワ・・・。

 

先日、前々回ぐらいだったと思うが、書いたブログに要は「思い悩むことは最上じゃないにしろ、そんなに悪くない」みたいなタワケタことを書いた。

 

強がりもあったろうが、つくづくバカなことを書いたもんだと思う。

 

そんな血迷った、世迷言は所詮がほんとにもう一時的なディプレッション、もといエスプレッソ?(なんでやねん)の寛解に基づいたお気楽論なんだから、そんなのは分かってるつもりだったが、書いちゃうんだねやっぱり。バカだね人間はホントに。

 

1~2歩進んで2~3歩下がっているというか、分かりやすいところで例示すると今日パチンコで10万勝った!なんてハイテンションで書くのはいいけれど普段は1~2万円コンスタントに負けてる奴が言うかって、そういう話。トータルで行けば負けてるのは自明なのに、書いちゃうんだな、大勝した時は。

 

そんなにそんなに好転する訳はないのに。

もうね、こういう状態の時は頭の中はカオスですかんね、ある意味。
そのカオスの状態を音楽にそっくりそのまま投影できたらもはやそれってピンクフロイドです。

 

まあそういう状態もありつつも、でも良く「しなければいけない」訳なんです、ワレワレは。考えてみれば残酷ですよ、それって。

 

いやほんとインド行きたいですよね(唐突)。もう気分悪いんで妄想に逃げます。
世代じゃないけど、ヒッピーって憧れますよね。義務って言えば、ドラッグをやることでしょ?(誤解です)そこへ来てインドの懐の広さ、これはタマランでしょうな。

 

1ヶ月ぐらい適当に過ごしてふとぼんやりしてたら「有は無であり、無は有である」とか訳わかんないこと言い始めると思うんですよ。それって何の解決にもなってないんだけど。

 

で、普通ではそうそうそんなことは無いんだけど、自分の場合だけ特別に、同じくヒッピーの中にミシェル・ブランチみたいなカワイイ子がいてガンジャの回し吸いをきっかけに懇ろ(ねんごろ)になっちゃったりなんかして、聞いてみるとアメリカの独善に疲れてインドに来てはみたけれども、結局のところ、ヒッピーカルチャーの中には何も無かった、やっぱり帰ろうかと思っていたところに流れ星のように現れたのが貴方、というようなことを言われちゃったりなんかして、英語の実力もうなぎ昇り、どこで学んだのかと言えば当然ベッドの中、ですよ。3か月も一緒に過ごしてるともう川崎麻世とカイヤぐらいにはコミュニケーション取れてしまっている訳です。

 

聞いてみれば彼女は良家の、ケンタッキー州かどこかで牧場を経営している家庭の娘で、言ってみればお嬢さんの火遊び的なことであり、もうインドはいい、日本に行きたい、僕の生まれた日本、札幌に行って一緒に住みたい、ニンジャが政治を行う国、ジパングに行きたいとしきりに言うものですから、もうアメリカ人みたいなリアクションが身に付いている僕は「本当に後悔しないね?」と言って一緒に日本に帰ってくる訳です。

 

当然日本に帰ってきて、働かなければ生活がしていけないので仕事を見つけましたが、ミシェルとの生活が一番大事なので残業などのないパートタイマーを選びました。ミシェルも逆に、どこで学んだか(ベッドの中でですが)たどたどしい日本語ぐらいは喋れるようになってたので、英会話教室の講師として働き口を見つけ、裕福ではないけれども幸せな生活を送ります。おにぎりの形がいびつだと言っては二人で笑い転げ、月に一回だけ贅沢して、回転寿司に行くのがたまらなく幸せでした。

 

しかしそんな幸せな日々も長くは続きませんでした。お恥ずかしい話、自分の浮気が原因です。


オンボロの軽自動車に乗ってミシェルが働いている英会話教室にたまに迎えに行っていたのですが、ミシェルは少しやることがあるから、と言って中で待たされた際に、そこに同じく講師として勤めるクリスティーナと親密になってしまったのです。前述したように、時間には割と余裕のあるパートタイマーの生活でしたから、ちょくちょくミシェルの目を盗んではクリスティーナと会い始め、といって、最初はもちろんカフェでコーヒーを飲んで話すぐらいの感じだったのですが、次第にクリスティーナから「いいなあミシェルさんは、こんなカッコいいハズバンドが居て」なんて言うもんですから、僕は全然カッコよくないよということを言ったのですがそれがまた奥ゆかしいと好意的に理解され、「遊びだとしてもダメ?」と随分大胆なアプローチをしてくるもんですから、そりゃ私も日本男児、据え膳食わぬは男の恥という言葉もございます、後先考えずにクリスティーナとの関係を持ってしまったのでした。

 

ある日仕事が終わり帰宅したところ、休みだったミシェルが料理をしていました。が、どこかいつもと様子が違います。よく見ると、泣いているようです。どうしたの?と僕が聞くと泣きながらも少し笑っていて「どうしたのかって?貴方が一番よく知ってるんじゃないの?」と難解なことを言います。そのころはもう僕の心もアメリカ人になっていましたから「おいおいどういうことだい?それってニューヨーク5番街で流行っているジョークなのかい?」と言いましたが、言うが早いか平手でピシャリと頬を叩かれまして、


ってもう3時過ぎてるやん!何しとんねん、自分!