過去の文章①

いやあ、過去の文章アップするアップする言ってて、実際アップ候補の文章見るとすげえ恥ずかしいのな。とは言え、一歩踏み出さなけりゃ何も始まらないっていうことで。まずこれは、mixi日記、ブログとかそんなんじゃなくて、訳分かんねえホームページとか作ってた時に載せてた文章。

 

前置きが長いけど、まずタイトルは恥ずかしすぎるので割愛。

そんでこれは、自分が大学を卒業して、仕事もせずニートみたいになってた時に見かねた親が「てめえちょっと南の方に旅行とか行ってシャキッとしろ」みたいに促されて旅行に行った後の文章。

椎名林檎と自分は同い年なんだけど、要は衝撃のデビューからリアルタイムで聞いてて、ファーストアルバムはほんとどうしようもない自分とリンクするやらシンパシーを感じるやら、慰められるやら勇気づけられるやらで、すぐにファンになった。で、上記の、「南の方」とかって言われて、福岡に決めた訳です。2002年、20年前の文章。

 

ややこしいけど道中は、サニーデイサービスの「旅の手帖」とか聞いてたな。

それじゃあ、以下に。

 

 

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何度かは知らないけど、とにかく暑い日だった。カラっとはしているから不快じゃない。
でも、まさに酷暑のイメージだった。そんな中、歩きに歩いた。2時間、3時間・・・。
徒歩でなくても、地下鉄を利用して移動ができるのだが、街を見て歩きたかったので徒歩に拘った。
途中で買ったコーラとカメラも、買った時の状態はすぐに変化した。
ぬるくなり、何枚かフィルムが巻かれている。

いつもそうだけど、僕は暑さが苦痛にならない。暑いと感じられれば感じられるほど、
それは寧ろ快感といえた。徒歩を選んだもうひとつの大きな理由がこれだった。
その中で、2時間、3時間。楽しいといったらありゃしない。
しかし、だからといって、ただ暑さだけが僕を楽しくしたのではない。
暑い中で時折入る、ひんやりとした場所がまた快感だった。温度のギャップを「楽しむ」為に、途中クーラーの効いた喫茶店に、これまた温度差を楽しむために、ホットコーヒーを飲んだ。
なにやら矛盾のようだが、僕の中では整合性が保たれており、ちっとも可笑しな行為ではない。
そしていつでも好きな時にタバコを吸った。

「愛する街を、汚してはいけない」簡単に言ってそんな動機から携帯灰皿を求めたが、何処にも置いていなかった。
暑さでボーっとしかけていた僕は、それでもどこか済まない気持ちで、だけれど悪びれることなく吸殻を捨てた。
生まれ育った街でもなし、否、生まれ育った街でも吸殻を捨てているものが、いまさら何を思うのだろうか。
済まないと思っていたっていなくたって、捨ててしまったら同じ事、滑稽だ。
道すがら、人に聞き聞き、なんとか百道浜に近づいていった。

雲一つない快晴の中で、百道に向かっているのにもかかわらず、福岡ドーム、そして恐ろしく高いビル(タワーと言った方が適切か)が目に入った。それらは百道の方に「何年か前からもともとある」建物らしかったが、何故だか僕には奇異に感じられた。
一目見たいと切望していた場所の隣に非常に有名なドームやらビルやらがあるなどとは思ってもいなかったからだろう。
百道は、新造の街との印象を受けた。歴史ある家屋はあまり見受けることがなく、小奇麗な一戸建て、マンションが立ち並んで居た。
それに、大使館。僕は、生まれてこのかた大使館をみたのが初めてだった。韓国、中国のそれがあったと記憶している。暑い中、所在なさげな大きくて新しい建物が印象的だった。どうせ誰もこないのだろうけど、警備の人が数名立って居た。

百道浜は、不思議な感じがした。
海と言えば、これはもう立派な”自然”なのであるから、野趣溢れる景観が僕を圧倒する筈なのだが
(加えて僕は数年来海に行っていない)、そこまでの迫力が百道浜には感じられなかった。
磯の香りもあまりしない。これは後から人づてに聞きかじった程度の知識だが、福岡ドーム百道浜は埋め立てられた所で、人の手がかなり加わっているそうだ(まあ人の手が加わっていない海というのも珍しいのかもしれないが)。
そう思って見ればなるほど、周囲はかなり綺麗に整備されており、中央は小規模なモールのようになっていたようだ。
しかしこれらの感懐や歴史というものは、僕の中での百道浜のイメージに何の影響も与えなかった。
というか、影響も何も、何度も訪れているわけでもないし、実際そんなことはどうでもよかった。
景色を見ながらタバコを吸い、コーラを飲み、1時間もそこに居ただろうか。
余談だが、この時僕はビールを飲みたかったが、さすがにそれははばかられた。ナンバーガールの向井が言った
”福岡の若いもんは昼間っから外で酒あおってますよ”という言葉は嘘である事も証明された。
いっそ冗談でなく、そうあって欲しかったものだ。それならはばかることもなかっただろう。
話をもどすが、今思えば、よくそんなに長く居たものだと思うが、僕と同じような年頃の男女も何をするわけでもなくそこにいたし(後に聞けば、そこはナンパのスポットらしい)、きっと講義が嫌になっては授業を抜け出し、
厭世を気取っている大学生ぐらいと見られていたのだろう。
その時はそんなこと思わなかったし、またそれが自然のように思えた。
帰り際には、「もうこれで見納めかもしれない」などと訳のわからぬ感傷に浸り、また少し粘ってそこに居た。
前に書いたように、中央にはモールがあったため、モールから見て右側のベンチに座っていた僕は、左側の方へと移動した。大きく変わり映えしないのは判っていたが、それでも全容を見るのも悪くないと思ったからだ。
そこでは、高校生だろうか、100人ぐらいの集団がゲームに興じていた。多分学校の行事だろう。
僕は泰然とまたタバコを吸い、落第大学生のイメージが定着したように勝手に思っていた。
「若さっていいなぁ」泰然と振舞うのは、嫉妬という感情のせいでもあったのかもしれない。
さすがに1時間程いると満足してきたので、帰ることにした。

夜は、中州。何のススキノと大きく変わり映えはしなかったが、それでも楽しかった。
夜だって暑いので、つまり一日中僕は快適で居られたわけだ。
昼と夜で、僕はいくつかの群像を見たように思う。
どういう人が、どういった場面で、という説明は省く。それは不粋であるだろうし、また、
説明しようったってできないだろうからだ。単なる個人的な備忘録という気がする。

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