何やねんこの文章・・・(今現在の感想)。
タイトル 石原さとみと酔って一緒に腕組んで歩いている最中彼女の上戸彩と遭遇して思いっきしひっぱたかれるの巻。
何をか、何にこそ、何となす。
そんなの知らねえ。そう高邁なことを考える必要もないね。
出来るところで意識を高く、ってのと出来ないところで描く理想ってのは全く違う。
そして出来ないところでの理想を押し付けるのは、デリカシーのない、しかも頭の悪いバカなのだから、気にしてはいけない。
とりわけ、生きるにあたってこれを混同しちゃあいけないね。
そういう頭の固さがすでに悲劇だっつって。
クソ野郎がそう取り繕う必要もない。えっ?クソ野郎って誰かって?
馬鹿だな、君に決まってるじゃんか。
何でそんなショックのような顔をするんだい?まるで天使のように生きてきたって訳じゃあるまい?
いやいや、そんなに反発することはないって。人間はクソ野郎だから素晴らしいんだから。
正確に言えば、クソ野郎「で」素晴らしい、か。
あんましねえ、自分を上等に見せたいとか、見られたいとか、そんなことは思わない方がいい。
それを過ぎて、自分は上等だ、なんて思いはじめたとしたら、それはおかしくなってきているってことだね。
そういう私は綺麗、上等、まとも、優れてる、おかしくない、そんなのばっか気にしてる人を見るとバカバカしくて突っ込む気にもなれないね。そういう人を見分ける方法-「話が面白くない」、実はこれ結構正解だったり。
そういう高潔、清廉な人のひり出す屁ほど臭いものはないんだって。
口惜しかったら反駁してみな。
だからって、高潔じゃない、清廉じゃない人のひり出すそれが清々しいシトラスの香りだとはよう言わんけれども(笑)。