無いんだ。最初からそんなものは。
有りゃしないんだから、どうしたって、無いんだ。
時には有るような気がするかも知れないけれど、近づけたような気がするけれど、憎らしいほど、無いんだ。
もう、徹底的に、無い。
だからそれが限界、というか、最低も最高も、それっぱかしの事。同義だ。
悲しいとか切ないとか、悔しいとかやりきれないとか、それは有った人の感懐で、それとも違う、
無感動?ニヒリズム?いやいや、名前なんて付けられてない、単なる空っぽだよ。
有るように、思いたかったんだろう、今思うに。
心のどこかで胡散臭い・・・と思っていながら、あえて騙されていたというのもあるんだろう。
それは別に、悪いこととも思わないし、どうあれ、いいんだけれど、そんなことは。
ただ、お為ごかしからは何も生まれなかっただけ。
思えば大変シュールな立居振る舞いで、空っぽの箱を自分で作って蓋をしておきながら、何かがある、入っている、つまっている、「ような」気になっていて、蓋を開けたら、開けられたら、やっぱり空っぽ。当たり前の話じゃないか。
そんな分かり切った、惨めな思いをしないためには、蓋を一生開けないか、中身の入っている箱を手に入れるか、それとも最初から、箱なんか持たないか。
随分と、人にその中身の空っぽなことを指摘されながら、顔を真っ赤にして反論してみたものだ。
本当に入っているとは自分だって思わぬが、かといって簡単に空っぽだなんて言って欲しくなかったんだろう。
それに、強がりじゃなく、本当は入っていようがいまいが、そんなことはどうだってよかったと、今にして思う。
それならば、どうするの?
それならば、そうだったなら。
知らんよ。阿呆面して、何もせず無為に死ぬんちゃうの?
バカバカしいほど小回りが利かないのが、人間。
どこにもとまれず飛び回って、やがて弱って死んで行く虫のことは悪く言えない。
何かある、なんて吹聴、広言するのはバカだ。
持たざる人間が、その気になったらどうする。バカに騙されるバカは、存外王道、びっくりするほど多い。
みんな希望に燃えて、ぐんぐんめきめき意気消沈していく。
そして変にひねくれたりなんかして、そうなるよりは、と言っているんだ。
ポテトの数を1,2,3・・・と数えて「やあ、今日は5本も多かったぞ!」と喜ぶのが本来の君の身の丈の幸せなんだ。
バカにしているんじゃない、冗談を言っているんじゃない。
「本当に」そうなんだ。
で、そうだとしたら?