とりとめのないこと。

何かこう、テーマがあって更新するんじゃなくて、惰性で、というか強迫観念でもって更新するインスタグラマーのことは、悪し様に言えない自分が居て、それは、おおよそ1月以上、場合によっては2ヶ月も3ヶ月も気にならないとばかりに放って置いて、かつ、時々で不意にその放置が気になるブログ著者にも似ている。

 

って俺じゃねえか。

 

ってどうも、コクのある醤油とペッパーの刺激が利いた濃厚醤油ラーメン(HN)です。

 

そんなポップな感じでしれっと数カ月ぶりの更新をしていますけれども、今日はまあ、真面目なトーンで行きたいと思わずにはいられない今日この頃ということであんま面白くはないと思うんですけど、何せ死んだかとか思われるのもあれなんで更新しようと。

 

さっきウィキペディアで、何の気なしに日本で過去あった凶悪事件の犯人、その人となりを(ウィキペディアレベルで)チラッと見たんですけども、そこで思ったことを何個か。

 

全部の事件にそれが言えるとは言わないんだけれども、自分が見たある事件のウィキペディア情報だけで判断すると、勿論、自分やこれを読んでいるあんた方がそのような事件を起こす確率は極めて低い、無いに等しいものの、ゼロではないっていうのが一つ。同時に、”こういう特性が是正されないままになっているから、こうした事件を引き起こすことになったんじゃないのか”っていうのは、大体想像がつく。

 

閑話休題(っていうか何を言いたいかっていうのはあるけど、この話題飽きた。後々繋がる所もある”かも”しれん)。

 

自分はある持病である薬を飲んでて、それで、自分は酒を飲むもんだから何気なくその薬の名前プラス酒、ご丁寧に”間隔”というワードまで入れて服薬から飲酒までの大体の間隔、ほんとざっくりとした医師なり薬剤師の見解を調べようと思い立って検索したところ、全くの時間の無駄だった。

 

曰く、「(服薬と)飲酒はおススメできません」「薬と酒を一緒に飲むとこんな怖いことが!」等のページが多く、せいぜい「個人差、体格差があるから一概には言えません」ぐらいのものが関の山。

 

ほんとバカなのな。

聞いたことに答えてないじゃないか!っていうのは政治家だけに言えることかよって。もし法律で言えない、標榜することができないんならそんなページ作るんじゃねえよ。

 

「薬には半減期(薬の血中濃度が半分になる時間)というものがあって、この薬の場合6時間とされているから、個人差、体格差による違いはあれど理論上6時間以上の間隔を空ければ問題は少ないと思われる(とされている)」

 

ぐらい言えねえのかって。

もうこの世のありとあらゆる薬と酒の間隔は「(服薬と)飲酒はおススメできません」「薬と酒を一緒に飲むとこんな怖いことが!」で済ますつもりかよ。実利的な問題について解答を示さない(示せない)のはせいぜい知識止まりですね、知恵じゃない。

 

意味がない、そんなの専門家の見地でもなんでもねえから。

 

そういう答えが示されないところに我々はどうするかって言えば、まあ経験って言えばかっこいいけど、自分で考えて、試すわけですね。ほんでたまさか素人が間違ってどえらい目に遭ったなんてなれば「これだから素人は・・・ww」って草生やすんだからどうしようもねえ。

 

まあいいや、バカな薬剤師のことは。

 

それでまあ、本題っていうか。最初凶悪犯罪の犯人がどうのって言って、我々は起こすべくもない、ほぼ起こす可能性が無いに等しいとかって言ったけど、何故ならそれは、曲がりなりにも社会とか自分の身の回りの狭いコミュニティと関わり、対峙し続けてきたからに他ならない。

 

それでまあ、こんな過疎で暗いブログに陽キャなんていねえと思うけども、上記の「関わり」「対峙」とかって言えばさも立派なように聞こえるかもしれんけど、自分の経験上、”そんな”ことは無ければ無い方がいい。それら「関わり」、「対峙」なんてものの結果は、自分の良い所を見る前から軽んぜられ疎んぜられ、”どうせこんなんでも文句言わないんでしょ”と相手方が思ってるかどうかしらんが、残飯みたいな扱いを受けたりして、決してロクなもんじゃない。

要は、バカだけど、腹立たしいけど、「え~!?そんなこと考えたこともない!」ってのが絶対幸せだ。

 

そういう経験があって、「あーこれ、(鬱であったり適応障害であったり正当な理由があったとしても)自分に自信がないと(見くびった)他人ってこんなに舐めてくるんだ」ってのが十分分かった。

 

ただそれが分かったとして、鬱状態みたいな所にある人間がいきなり舐められないようになるには不可能に近い。時間がかかるどころか、見くびられ舐められ続けてるうちにもう本格的に心折られることの方が多いと思う。

 

自分の場合は本格的なリカバリーには15年ほどを要したと思うが、今となっては、冷静に何度考え直しても、どうしてあんなに軽んぜられ舐められ見くびられていたのかが、本当に分からない。弱いと見れば、死に至る直前まで、いや、死んだって別にいいやとばかりに叩ける人間のいかに多いかを考えるとぞっとする。

 

「人にやさしく」って、ブルーハーツの曲があるけれども、その曲のメッセージはほんと素晴らしくてその通りなんだけど、1000回心折られて1回優しい人にフォローされたのでは、やはり人の心は折れたままとなる。絶対数の問題で、10人嫌な奴がいても2~3人の優しい奴のおかげで頑張れる、ならまだわかるが、ブルーハーツを歌っていながらなまはげよろしく、「(自分が叩ける)自分より弱い奴いねがぁ~!」とキョロキョロして周りを窺っているんじゃしょうがない。

 

歌つながりで、椎名林檎の「17」って曲があるけども、まあこの曲についての自分の当時の感懐を言うのはまた今度にしよう。

 

それで、まとめでもないけど、結局現在の自分で言うと、「舐められないような見え方、人間にはなった」っていうことと、結構克明に覚えている風に言っておいてなんなんだけど、冒頭に挙げた凶悪犯罪者の人となりだとか、過去の優しさのない連中のこととかは、基本あえて身の回りから遠ざける、思い出さないようにしている。

 

別にトラウマが、とか、まだ怖い、っていうのじゃないけども(そう思われても構わないけども)、基本的にそんなのに耽溺しない、拘泥しないっていうのは心がけているつもりだ。

 

というのも、自分みたいな、他、こんなブログ読んでいる読者は身につまされるかもしれないけれども、基本、普通に過ごしているだけでも”そういう”嫌な、ネガティブなものは普通の人より多く寄ってくると思ってる。遠ざけて遠ざけて、やっと人並みぐらいのもんだと思ってる。

 

何せ変人になりたい、何をするわけじゃないけれども歩いていて何十人かに一人「あれっ?」と振り返られるような変なオーラを纏いたいかたは別だが、そうじゃないならあんまりこんなものへの惑溺は控えた方が良いと思う。

 

”違った”ことを恥とも思わないけれども、変に目立ちすぎるのもよろしくない。