下書き(公開前)③より。着地点不明ながらほんのちょっと味わいがある、2点。

往々にして人は、自分も含めて(特に自分が?)、「基本」というのを忘れがちで、見失いがちなものと思う。

 

それは、自分の場合、例えば、何だかメンタルが不安定になって落ち込んでいる時に陥る状況が、「基本」を外している状況と言える。

 

長年悩んで、考えても必死に助けを求めたつもりでも解決しなくて、心の平安などはとんでもない、行動に移す勇気もないが、焦燥感だけは凄くて、語彙力に乏しい自分からすればあれは地獄としか言いようがないものだった。

 

”ああこんなんじゃあ、無理だな”と思ったことをよく覚えている。何が無理?いや、働くことも無理なら他人と和してうまくやっていくことなんて、っていう。要は、”この世で生きる”っていうことが。別にシニカル気取ってる訳じゃなくて、できるものなら働きたいしうまくやっていきたい、って思ってるのにどうにもできないのは、語彙力があってもなくても、それはやっぱり地獄だろう。

 

結局、自分に限らず人間は、自分ではなく、他者や環境と交わって関わることにより、というかそうすることによってのみしか、なかなか喜びを感じられないようになっている。自分一人の世の中で、それはそうとして、じゃあ悲しみもまた、他者や環境と交わって関わることによってのみしか、感じられないものかと言えばそれはひっかけ問題で、否。

 

勝手に自滅、自爆するような連中は皆さんの周りにも何人かは思い当たるものと思うが、常識では理解できない理由・タイミングで、絶対に砕けぬ壁に激突していって死ぬような、そこまで行かなくても、理解しがたい趣味か、ご自身の譲れないモノなのか、徐々にもしくはせっせと自分で自分をダメにしていっている連中は一定程度いるのだから、こうしたことにおいては、他者とか環境とかはあまり意味を成さない場合もある。

 

喜びは他者や環境と相容れないから得られない、さりとて悲しみはどうした訳か自分自身で生産できる、考える、結論なんか出る訳がない、結論が出る訳がないという結論に気付き落ち込む、ますます喜びから遠ざかったような気がする自分に落ち込む、いや待て、チェッカーズじゃないけども、そんなに俺が悪いのかと思う、いやまて、悪くたって悪くなくたって、何が変わる訳でもない、悪くないとしたところで、それが何だ、何の意味がある・・・

 

・・・とそこに、椎名林檎とかボニーピンクを聞く。

 

って、ここに化学反応が起きない筈もなく。

 

自分にとっては悠久の時間に感じたが、いや、実際には長いなとも感じていなかったが、とにかくダラダラと、考える、意味がない、悪手、化学反応、考える・・・というサイクルを続けに続けた結果、最初に言った自分の「基本」を発見したと思った。

 

持って回った文章になっているのは自覚しているが、殊更にところどころ抽象的にしようなどという意図は全くなくて、結構正直に書いているつもりだけれども、どれぐらい伝わるものか・・・と思う。

 

真実は一つでも、真正面から見た真実と、斜め後ろから見た真実は同一である筈もなく、少なくとも見え方として。だからこの件についても、かなり穿った、マニアックな視点とも自覚しているが、”真実じゃない”という誹りを受ける筋合いもそのつもりも、ないということだけはハッキリ言っておく。