最後何か訳分かんない感じになったけども。

どうも、えー、どうも。えー、どうも、えー、今日は、ね、その、お日柄も良く、ね、えー、・・・・・・・・・・・ヘヘッ(hn)です。

 

「何か3ヶ月ぐらいに1回程度、誰からも求められないのに更新されている気持ちが悪い、何の内容もないブログがあるらしいぞ」、ということで早速調査チームを組んで必死になって探り当てたのが自分のブログでした。

 

とまあね、全然おもんないイントロはこれは書く必要があるのかっていうね。

 

いやまあ、真面目?に書くと、不意に外付けhddの内容を見てたら、過去の自分の文章やicq?やマイクロソフトメッセンジャー?でのネット上の友達とのやりとりがワード形式だったりで残っていて、それをざっと見返してみると、過去の自分はそれはもうバカだし幼いし思考が極端だし、で今の自分から見ると噴飯もの、とは言わないまでも”まあまあの駄作”なんだろうなあと思っていたところ、いやいや存外、いやいやどうしてどうして、今見てもかなり面白い文章、やり取りが多かった。

 

今日はその報告!っていうんじゃなくて、その文章なりチャットのやり取り(ログ)を見ていた自分が思った事。”やべえ、俺ジジイになってきてるじゃん!”っていう事。

 

というか、今まで自分は、”過去の自分ったって所詮は自分なんだから、そんな(自分の)理外の発想とかある訳ないでしょ、わかるわかる”というマインドで居たんだが、何この瑞々しさ、訳分かんない発想、と驚かされることが多々々(一つ多い)あった。

 

アレだね、そうした文章とかチャットのログってのは、まあ多分1990年代終わりに自分がネットに触れて以来、5年前後経ったものが多い訳だけれども、当時ブラック企業に勤めていた状況であるとか、今そんなのメインストリームじゃないだろうけど、ネットで知り合った人と会って酒を飲んだりしてたのもその頃で、懐かしさも加味して、全てが絶賛という訳でもないけれども、あーちょっとオモロイじゃん、となるところは確かにある。

 

まあ前置きが長くなったけれども、多分その文章やら何やらは、てにをは”的”なことを直してリマスターすれば、50個ぐらいの記事にはなるんだろうと思う。これまで生きてきた証、みたいな大仰なことを言うでもないけれども、ちょっと手直しすればほぼ原文のままで(訳分かんないフレッシュさだけ感じるような感じで)記事にできるはずだから、まあそれはちょっとやってみようかな、と思っている。

 

かつてガチで神と思ってた松本人志を今は「終わった」「おもんない」と断じてしまっている自分は、実は過去の自分にも負けていたっていう。今あんなの書けんもん。名誉の為に?言っておくと、”今でも松ちゃん面白いよ!”とかいう連中(れんじゅう)に言っておくと、昔はもう次元が違ったから。面白くないものでも松ちゃんが笑えば”ああ面白いんだ”と自分の判断基準を書き換え”させられる”ほどの力が確かにあった。あんなのが”神がかっていた”って言うんじゃないかしら。

 

ま、アレ(自分のhddの中の過去の文章やチャットのログをちょっとだけ手直しはするけどほぼ原文のままで、リマスターじゃないけどもこれからちょいちょい記事にする)しますよ。

 

アレ長えな。