今日いきなりちょっとだけ感覚が戻ってきたかも('ω')

どうも、しれっと94日とか95日ぶりとかの更新です。

「恥ずかしながら、帰ってまいりました!」の、”恥ずかしながら”がない、最低なバージョンで帰ってきました。

 

ところで、この、件の、94日とか95日の沈黙には意味があって、というか意味が後からついて、ある素晴らしい題材が思い付いてこれを書こう、というか、翻って、これを書くが為の94日もしくは95日の沈黙だったのだと数分前に思ったので久しぶりのこの更新と相成っている次第。

 

そしてその素晴らしき題材とやらが実はないと自分で知ったのが現在。

 

というかもうそんな、題材とかじゃねえだろって大した題材でもねえくせにって。

そんなこと言ったら、構想80年、未完の大作とか言って誰もがすげえの思いついている、あと一歩だった的なこと言って死んでいくんじゃねえかっていうね。

 

結局アレです、たまたま興が乗ったんでしょうね。

 

もうこれからは、頻度は必ずとはお約束できないですけど、思うまま気の向くまま書いて皆さん(大体アベレージで月数人の閲覧者がいることはリサーチ済)に楽しんでいただけるアレ(どれ)を考える方がいいんじゃねえかっていうね、こんなのだったらめちゃくちゃ書ける訳だし。

 

いきなりなんすけど、右脳、左脳人間とかって言われますよね。振り返ってみると、自分は右脳人間なのかもと何度か思ったことがあったという、そういうお話。若かりし頃は頻繁にブログやら何やらやってましたけど、本当に自分の思ったこと感じたことをそのまんまキーボードで打てば、全然奇をてらっている訳でも何でもないのに、(自己分析では)これじゃ他人が見て分かる訳ねえよな・・・っていう文章が特に多かったと思う。

 

でも流石に自分が見ればその意図は分かるし、その時は周りの人間にも”わかんねえんだけど何か味がある”的なことを言われて、別に直すということもなく。

 

例えば常識的な事を言って、それを常識的じゃない捉え方をした奴がいたとして、”ああ伝えるって難しい☆”とかいうのはバカだと思っているんで、当たり前の、十中八九そう捉えるだろうということを書いたらそれは正解(というかそうするより他ない)だと思うし、もっと言えば、若かりし自分には、”いや一見むちゃくちゃに見えるだろうけど読んだらわかるだろ、わかれよ!”みたいな所まで求めていた部分で、傲慢、というのとも違う、まあ、ある意味で歪であるし、卑屈でもあったんだろう。

 

ただまあ、功罪、ということでもないけど、それから数十年、現在この瞬間において、今日は何か昔の感覚が何故か突然復活して駄文みたいのをいくらでも書けるけど、さまざまな経験と艱難辛苦(ガチで言ってます)によって、「読んでも皆目分からない、こいつはその種の疾患を持っているのか?」的な文章を、避けることはできる。

 

要はほぼ(一部の〇〇〇〇以外)誰が読んでもハートフル、誰が読んでも嬉しいや悲しい、誰が読んでも、っていうのは訓練?というのか何なのかの賜物で、できなくはない所作とは思う。

 

ただ、そうした以前には無かったスキルを身に付けたことで、昔のような猪突猛進でもないけれども、こういうムチャクチャな更新はできなくなってきたのかなと思う。

 

要は先鋭的ではなくなっているのかと思う。

触れればスパッと切れそうな切っ先と同時に、どんなにいじくってもケガをしない丸みを帯びた切っ先とは、自分の感覚では基本的に両立しない。科学の世界ではあるのかしらんけど。

 

昔は、オチなども考えずに、訳分からない文章をバサッと載せてた。だから昔の、とか、先鋭的、とか言うなら、この文章もこれで終わらせてもいいのかと思う。

 

思いつかないのかもしれない、思いついていても言わないのかもしれない、そんなことは知らんし。