ソノニ。

2個目の記事です、毎度!

 

というか今編集画面、とかになってるんで、1個目の記事が上書きされて毎度!とかになってるかもしれませんが、そうなったらブログ辞めます。

 

まあ、今の若い連中とか、自分の年下向けにあたる連中にドストレートに響く題材はこれで辞めるかもしれない瀬戸際に来ていて何なんですけど、もうちょっと後にとっておきます。

 

もしこれで1個目の記事が消えてこれが1個目の記事になっていたら、頭の悪い怪文書みたいになるとは思うんですが、それもまた一興。

 

そうすね、いきなり自分の回顧録みたいのを語ると、ブログは約20年ぶり、でまあ、mixiとかって、今でもあんのかわかんないですけど、自分の20代には結構全盛で、そこで日記とか公開してましたね。今アカウントとかどうなってんのかわかんないですけど、ログ取ってて、たまに見返してみると、そりゃバカの癖に難しいこと言おうとしてるなとか、明らかに滑ってる所も多々ある訳なんですけども、これが存外、なかなかに面白い。ムチャクチャのような文章の中にも、たまに感心する発想がある。

 

でもただ、ただそれだけなんすよね・・・。

で、見返してみて、”今だったらこう書くな”とか、それは思う訳ですけども、

例えば書き直したとして、それが正解なのか不正解なのかも分からない。

 

”正解であって、不正解”みたいな、仏教みたいな解釈もできるんで。

 

でもそのログを見返してみると、まあまあ暗い暗い。

暗いっていうのは、別にその時の自分にとって本当で、何もわざと暗くしようとして書いていた訳ではないけれども、怨嗟?ルサンチマン?鬱屈?知らんすけど、そういうものに満ち満ちている。もちろんギャグみたいなのも入れて、オチらしきものもあることにはあるけれど、全然昇華しきれていない。下処理最悪の魚みたいな。

 

だからといってそれはその時の自分だから、そしてその時の状況も当たり前だけど自分だから分かるから、正しい誤っているっていうのは言ってしまえばどうでも良くて。

 

ここから言えるのは、唾棄すべきは自分自身じゃなくて、また、”何てあの時の自分はバカだったんだろう!”でもなくて、暗い暗い文章でも、何ていうか、sweet emotion(相川七瀬)というか、そこはかとなく懐かしい気がするんでね。

 

だから今の時代、強要とか強制ってのは合わないけども、あんまり過去の自分を否定するのは良くないって自分は思ってて、皆さんもそういうことは止めた方がいいですよっていう話。

 

それに、(自称)自信満々、輝いていた時期しかない!とかいう人間は実はほとんどいるはずもないし、皮肉ですけども、輝いていた時期しか過去から現在までねえ人間なんて、ロクなもんじゃないですよ。恐らくは、何らかの認知の歪みが原因。

 

そんな訳がないし、そんな訳が仮にあったとしたってそれは自分のケースには到底相容れないから語られた所で何の痛痒も感じない、というか感じられない。

 

話が飛びましたが、”一旦””その状態を脱した”なら、これほど面白い(自分の)過去もないもんで、若い人は尚更、「悩んで苦しんで、それで何か好転するかと思ったら全然何もなくて、”ヤバイ、このままじゃ死ぬしかねえじゃん”とか思っても早々死ねるもんでもなく、訳分かんない楽しくもない人生を1年や2年、もしくは5年や10年過ごしてる」みたいなのを、本当に悩んでいる人は続けていくべき(というより、そうするより他ない)と思いますけどね。

 

まあまさに、自分がそうだったんで。

 

これだけは言えるけども、好転のきっかけとか出来事なんて、”(あえて言うけど)普通”の人達が声高に言うほどないから。藁にもすがる思いで詳しく話を聞いたら、自分が(あなたが)甘えてんだってさ。自分が変われば世界も変わるんだってさ。バカじゃねーの、誰に話してんだよって話。

 

盛り上がりすぎたんでまた次回に。